Last Updated 2020.12.24
イザベラ・バードの足跡を辿るブルベBRM501 400km
AJ神奈川主催のヘブンウィークブルベ、イザベラ・バードの2日目BRM501神奈川 400kmイザベラのブルベについての特集です。
ゴールデンウィークを利用して、東北地方をぐるっと一周しかも女性旅行家イザベラ・バードの旅行記を元に足跡を辿る旅。
2日目は山形県の金山町をスタートして秋田県を北上し、大館市を経由して青森県の津軽地方深浦町不老不死温泉までの400kmの行程です。
イザベラ・バードとは?
イザベラ・バードについては下記の記事をご覧ください。
BRM501神奈川 400km イザベラ
BRM501神奈川 400km イザベラ:RIDE WITH GPSサイト
イザベラ・バードの足跡を辿る旅2日目は山形県金山町から始まります。
秋田県内陸部を北上して、大館市を経由して青森県へ。
津軽地方に入って日本海へ出たら鰺ヶ沢町を経由して、青森県の最西端深浦町がゴールに設定されています。
イザベラ・バードの足跡としてたどる地域については、湯沢地方から黒石峠を越えて黒石温泉を通過するコースになっています。
湯沢地方から矢立峠そして黒石温泉へ
湯沢
翌朝立派な杉並木のぬかるみの道を九マイル[14.4km]進んだのち湯沢についたが、気が付けば、残念ながらここに着くまでの間に電信柱が無くなってしまっていた。ここは人口が七千人の町であり・・・数時間前に火事があり、七十件の家が焼失し、私が泊まることになっていた宿屋もその一軒だったことが分かった・・・家が建っていた場所では家は跡形もなく細かな黒い灰だけが残っていたが、その中にあって、蔵は焦げて黒くなりながらも、焼失せずに残っていた。
湯沢はことのほかいやな感じがするところである。[内陸通運会社継立所の]中庭で、大豆から作った味のない白い塊「豆腐」に練乳をかけただけの貧しい昼食をとっていたら、何百人もの群衆が門のところに集まってきた。
そこへ四人の巡査が現れ、旅行免状の提出 を求めた・・・・何のために旅をしておられるのかと尋ね、「この国について勉強しております」という私の答えを聞くや、「地図を作っておいでか」と尋ね、自分たちの好奇心を満足させると帰って行った・・・・すると、先ほどよりも大勢の群衆が再び集まってきた。内国通運会社継立所の社員が、出て行ってくだされと頼むと、こんな見ものは二度と見られませんだ!と口々に叫んだ。一人の年老いた農夫は、この「見もの」が男か女のどちらなのか教えてくれれば出て行ますだ、と言った。横手までの十マイル[16km]にわたって、道は火事場を見に行く人々でいっぱいだった。道は立派で、路傍には祠が無数にあり、観音が祀られ、とても気持ちのよい田舎だった。ところが私の馬はどうしようもなく癖の悪い馬で、狂暴だった・・・・人を見れば必ず耳を後ろに倒し、男であれ、女であれ子供であれおかまいなしに向かって行きかみつこうとする。
人口一万の町横手は、木綿の取引は盛んだが、見栄えが悪く嫌な臭いがし、みじめで汚くじめじめとし陰気である。最上の宿屋でさえひどいものである。そして私が例の質の悪い馬に乗って通り過ぎると、住民は私を見ようと風呂から飛び出てきた。男も女も素っ裸だった。
矢立峠
五マイル(8 km)進んだところで馬では通れなくなってしまったので、三人の馬子のうちの二人が荷物を担ぐことにして出発した。川を歩いて渡ったり、泥に膝までつかりながら山腹をよじ登るようにして進んでいった。谷間の全域にわたってひどい地滑りがおこったために山腹も道も元の姿を留めていなかった・・・・・高度が高くなり、杉が繁茂して暗くなった山が目の前に迫り始めたその時、私達は新しい立派な道に出た・・・道はすばらしい森の真只中に入った。そして勾配の緩やかな九十九折りの道をだらだらと上がっていくと、矢立に出た。その頂の砂岩の切通しには、秋田県と青森県の県境であることを示す文字が深く刻まれた縦長の石碑が立っていた。それにしてもこの道は、日本の道としては信じがたいほどすばらしい。勾配も実に適切で道行く人が休むための丸太の腰掛が都合の良い間隔で置かれている・・・・私は他の者を後に残し、一人で峠の頂きを越え、向こう側まで歩いて行った。そこは色鮮やかなピンクと緑の岩に発破をかけて切り開いた道になっていた。岩からは水がしたたり落ち、まことに素晴らしかった。 私には日本で見てきたどの峠にもましてこの峠が素晴らしいと思われた・・・・ロッキー山脈の峠のいくつかが彷彿されたが、木々のすばらしさにおいては、ここがはるかに勝っていた。
碇が関(イカリガセキ)
私は日本の子供が大好きだ。赤ん坊が泣くのを耳にしたことも、うるさい子供や聞き分けのない子供を目にしたこともない。孝行は日本における美徳の最たるものである。親への絶対的服従が何世紀にもわたる習慣になっている。英国人の母親がしている、子供をおだてたり怖がらせたりしてむりやりに服従させるということやしつけ方は見かけない。子供たちが遊びを通して自立するように教えられる、そのやり方には感心する・・・・
私はいつも駄菓子をもっていて子供にやるのだが、いただいてもいいよと父親や母親が言うまでは、けっして貰おうとしない。そして貰うとにっこり笑って、頭を深く下げてお辞儀をし、自分が食べる前に、その場にいる友達に分けてやる。実に礼儀正しい反面、堅苦しすぎるし、ませすぎてもいる。
黒石の町と黒石温泉郷
黒石の町
人口5,500人のこの町はこぎれいで、下駄と櫛の製造で知られている。ここでは大変こぎれいで風の良く通る二階の一部屋を確保できた。見晴らしも良く、あたり一帯を見渡せたし、隣家の人々が奥の部屋や裏庭で仕事をしているのも眺めることが出来た。そこで、青森に直行するのをやめて、二泊し三日を過ごすことにした。天気はすっかり回復したし、部屋も実に気持ちよかったので、ここでの骨休めはとても快適だった・・・その晩太鼓の音が鳴りやまず、床につくとすぐに伊藤が、ぜひ見ておくとよいものがあります、と報らせてくれた。そこで私は笠はかぶらなかったが、着物は自分のものを着て出かけた。このように変装したので、外国人であることがばれずに済んだ。黒石は電燈が無く、私は急ぐあまり転んだりつまずいたりした。そこで行く手を片手で強く掻き分けながら、もう一方の手にとても美しい提灯を棒の先にかざして宿の主人が現れた。提灯の位置は地面すれすれであった。
まもなく私たちはこちらにむかって進んでくる祭りの行列の見える地点につたが、実に美しく、まるで絵のようだったので、私はそこに一時間もとどまっていた。この行列は八月の第一週に毎晩七時から十時まで町のすべての通りを、金箱のような大きな灯籠[ねぶた]をもって練り歩くのである。その箱の中にはたくさんの短冊が入っていて、それにはいろいろな願い事が書かれており、毎朝七時に川までもっていって流すという。
黒石温泉郷
下中野(現温湯村)には歩いてしか行けなかったが、非常に熱い温泉があるので、たいへん興味を引かれるところである。リウマチと眼病によく効く温泉だという。集落は殆ど茶屋と宿屋からなっており、一番低くなったところに浴場[外湯]がある・・・真ん中の二つの建物では混浴になっていたが、湯槽のまわりを巡る木の縁に座っている人々は、男性と女性がその両端に別々に座っていた・・・・他と同じように慣習的な礼儀作法が行き渡っており、湯桶や手ぬぐいを手渡す時にはお互いに深々とお辞儀を交わすことに気づいた。日本の公衆浴場は世論が形成されるところだと言われている。 我が国[英国]で世論がクラブや酒場で形成されるのにあたる。
女性がいるために危険な状況や暴動を招かないで済むとも言われている。ところが日本政府は混浴の禁止に躍起になっている。このように僻遠の地までこの改革が到達するには時間がかかるだろうが、遅かれ早かれやってくるとは思われる。公衆浴場は日本の数ある特質の一つである。
「完訳日本奥地紀行」1、2 金坂来清則訳注、東洋文庫 平凡社刊より引用
参考:AJ神奈川イザベラ・バード特設ページより
AJ神奈川 BRM501神奈川400km イザベラについてはこちら
ヘブンウィーク2日目は初日の山形県の金山町からスタート。
序盤の峠を越えた後に本コースの山場、矢立峠を越えていきます。その後も細かいアップダウンがあり初日の疲れが溜まっている脚にはかなり堪えるコースになっています。
9:00スタートの27時間制限ですので、ゴールの深浦町には翌日昼12時ゴールになります。
確実にオーバーナイトランがあります。途中通過する大館市・黒石温泉・弘前の市街地で仮眠が必要になる場合も考えられます。
装備としてはヘッドライト2灯以上は準備して、宿泊したホテルでヘッドライト等の灯火類は充電しておくことが大切です。
AJ神奈川ではイザベラ・バードブルベ参加者のためにゴール地点付近のホテルも手配してくれるそうですので申込みの際には一緒にホテルの予約もお願いすると良いと思います。
ゴール地点は深浦町の不老不死温泉なので、ゴールできれば2日分の疲れを温泉で癒やすことができます。
日本海沿いですので、食事も日本海の海の幸満載の食事も楽しみの一つになるのではないでしょうか。